RAISとは

宣言

日本国憲法38条1項はこう定める――「何人も自己に不利益な供述を強要されない」。この権利のことをわれわれは「黙秘権」と呼び習わしている。

黙秘権は、しかし、「沈黙する権利」ではない。そうではなく、黙秘権は、自分に対する刑事訴追の過程において「政府からの尋問を拒否する権利」である。沈黙する権利さえ保障されていれば、尋問に晒されることを強制しても良いということではない。自己の刑事訴追について捜査機関の尋問を受けることを強要することは、それ自体黙秘権を侵害するのであって、日本国憲法に違反するのである。
そのことは、憲法制定の歴史的由来から考えても明らかである。この権利は近世イングランドにおいて拷問を伴う強制的な尋問によって宗教活動や表現活動が弾圧されたという歴史への反省から生まれた。最初の人権宣言である1776年ヴァージニア権利章典(The Virginia Declaration of Rights1776)第8節はこう定めている――「すべての死刑事件または刑事訴追において、人は[…]彼に対立する証拠を提供することを強要されてはならない」([I]n all capital or criminal prosecutions a man […]nor can he be compelled to give evidence against himself.)。1789年に起草されたアメリカ合衆国憲法第5修正はこう定める――「[何人も]いかなる刑事訴追においても、自己に対立する証人となることを強制されてはならない」([No person]shall be compelled in any criminal case to be a witness against himself)。日本国憲法38条1項は、これらの人権規定の系譜を引き継ぐものである。
実質的に考えても、尋問を受ける義務を科された状態で沈黙を保つことは非常に困難である。また、沈黙それ自体が問に対する一つの応答であるという評価を事実認定者はしてしまうであろう。このように、強制的な尋問を受けるという状況それ自体が黙秘権を侵害しているのである。したがって、黙秘権は尋問を拒絶する権利を意味するのである。

日本国憲法の制定を受けて改定された刑事訴訟法198条1項はこう定める――「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。

但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」。この規定が捜査機関による強制的な取調べの権限を否定し、被疑者に取調べ拒否権を保障するものであることは明らかである。この規定は、捜査機関に対して、被疑者に出頭を求めること、出頭に応じたときには供述の提供を求めることができると定めるだけである。被疑者が出頭を拒否したり取調べに応じない意思を明示したときには、それを強制することはできないのである。条文自体「被疑者は、[…]出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」と明文で被疑者の出頭拒否権及び退去権すなわち取調べ拒否権を保障しているのである。いうまでもなく、この保障は日本国憲法38条1項が自己の犯罪について尋問を受けない権利を保障していることに由来するのである。
ところで、被疑者の取調べ拒否権を定める刑事訴訟法198条1項但書には次の留保文言が付されている――「逮捕又は勾留されている場合を除いては」。この留保文言は、身柄拘束されている被疑者には取調べ拒否権がないことを示すものではない。未決拘禁は逃亡や証拠隠滅の危険性のある被疑者の住居を監獄におくことによってそうした危険の発生を防止しようとする制度である。被疑者の取調べとは無関係の制度である。一般の被疑者には取調べ拒否権を認め、身柄拘束されている被疑者にはこの権利を否定するという差別をしなければならない合理的な理由はどこにも存在しない。
「逮捕又は勾留されている場合を除いては」という文言は、GHQの担当官が作成したオリジナルの法律案にはなかった。オリジナルの法律案は次のとおりである。

  1. 如何なる場合においても、検察官または司法警察官は、被告人、被疑者その他の者をして強制的に証言を提供させることはできない。如何なるときでも、検察官または司法警察官の取調べにおいて、質問を受ける者はその場から退去しまたは答えを拒むことができる。
  2. 検察官や司法警察官は、犯罪捜査に関連する情報を持っている人に連絡して自発的に出頭し質問に答えるよう求めることができる。

この提案に基づいて行われたGHQと司法省の協議会の席上で、GHQ担当官が「当然の例外」として、「その場から退去」できる被疑者の中には「逮捕状の執行を受けた被疑者は含まない」という文言を挿入することを提案した1。その理由として彼は、これは「当然の例外」であり「検察官や警察官の調を受ける者は誰でも断って出て行く権利があるが、強制の処分を受けた被疑者には出て行く権利はないということである」と述べた2。これが「逮捕又は勾留されている場合を除いては」の起源である。要するにこの文言は、一般の被疑者は取調べ

1 井上正仁ほか編著『刑事訴訟法制定資料全集:昭和刑事訴訟法編(11)』(信山社2015)、289頁。
2 同前。

を拒否して捜査官の部屋を出て帰宅する権利があるが、逮捕勾留されている被疑者は家に帰ることはできないという「当然の例外」を定めたのである。
ところが、その後の捜査実務において、警察官や検察官は、この留保文言の意味を歪曲し、逮捕又は勾留されている被疑者には取調べ拒否権がないすなわち取調べを受忍する義務があるのであって、捜査官が満足するまで取調室にとどまって尋問を受け続けなければならないと主張した。裁判官もこの主張を受け入れた。その結果、日本で身柄拘束された被疑者は、逮捕勾留の期間――一罪につき23日間――連日長時間の尋問を受けなければならないという非人道的かつ恣意的な捜査方法が定着した。この身柄拘束された被疑者の取調べ受忍義務というプラクティスは、法律が保障していることが明白な在宅被疑者の取調べ拒否権をも形骸化してしまった。なぜなら、取調べのための出頭要請を受けた在宅被疑者が刑訴法198条第1項の権利を行使して取調べを拒否すると、警察は「逃亡や罪証隠滅のおそれがある」などとして逮捕状を請求し、裁判官はほとんどの場合にそれを受け入れて逮捕状を発行するからである。こうして、この国では、在宅の被疑者であっても、取調べを拒否すると身柄拘束される危険性があるので、警察や検察の要請にしたがって取調べに応じざるを得ない立場に追い込まれ、結局「任意」に連日長時間の取調べを受けることになるのである。

こうして、わが国の未決拘禁制度は、被疑者の逃亡を防止する制度ではなく、強制的な被疑者取調べを実現するための道具と化してしまった。

取調べを拒否して黙秘権を行使する被疑者は逮捕勾留され、保釈も認められないという「人質司法」をもたらした。そして、取調受忍義務は、連日長時間の取調べを可能とし、それに耐えられない被疑者による虚偽自白をもたらし、冤罪を生み出す装置となった。取調受忍義務こそ、この国の刑事司法の宿痾とも言うべき人質司法と冤罪の根本的原因なのである。
アメリカ連邦最高裁判所のミランダ判決(1966年)は、取調べ拒否権こそが黙秘権保障(合衆国憲法第5修正)の要請であることを明言した――「取調べの前あるいは取調べ中のどの段階であれ、個人が黙秘したい旨をいかなる方法でも示したならば、取調べは中止されなければならない。この時彼は第5修正の特権を行使する意思を表明したことになるのである。特権を援用した後に得られた供述は、程度の差はどうあれ強制の産物以外の何物でもない。質問自体を中止させる権利がないならば、身柄拘束下の取調べという状況は、特権発動後も供述をさせるように個人の自由意志の上に作用するだろう」3。
取調べ受忍義務は、憲法に違反し、法律に違反し、そして公正な刑事裁判の実現を阻害する。取調受忍義務の廃止すなわち取調べ拒否権の確立によって初

3 Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436 (1966),at 473-474 (Emphasis added).

めて憲法の保障は実現するのである。そのためにわれわれは国民的な運動を展開することにした。憲法の保障を確立し人質司法を解消するために、われわれは以下の活動を展開することをここに宣言する。

  1. 取調べ拒否権――黙秘する意思を何らかの方法で示した被疑者に対して捜査官が取調べを継続することを許さない――を保障する法律を3年以内に制定する。
  2. 在宅事件であれ身柄事件であれ、取調べを拒否することを中心とする弁護活動を積極的に展開し、その実務をスタンダードな弁護実務として定着させる。
  3. 被疑者の取調べ拒否権こそが憲法の保障するものであり、その権利が実現されることでこの国の刑事司法が公正なものとして国際社会から信頼されるものとなることをあらゆるメディアを通じて全国民に向けて広報する。

2024年6月11日
取調べ拒否権を実現する会

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