取調べ拒否権実践マニュアル

はじめに

 黙秘権とは、要するに、犯罪を疑われた個人には、政府に対して情報を提供する義務はなく、情報提供を拒否する権利が基本的人権として保護されなければならないということです。言い換えると、個人は自分を訴追し刑罰を科そうとする政府の仕事の手助けをする義務はないということです。強大な権力と権威を持った政府に対して、たった1人の個人が自らを防御するためにはこの保障が必須であるということを、人類は多大な犠牲を払って学びました。取調受忍義務は結局のところ個人に情報提供を強要し、たくさんの冤罪被害を生み出してきたのです。いまこそこの悪弊を終わらせるときです。
 われわれは国会が法律を作るまで待つというのは賢明ではないと考えます。それはいま目の前にいる依頼人の利益にも反します。現実の依頼人の憲法上の権利を確保するために今すぐにできることがあるはずです。このマニュアルは、依頼人の最善の利益を擁護しながら、憲法に根ざした取調べ拒否権の実現のためにわれわれにできることは何かを提案するものです。先駆的な実践には試行錯誤は避けられません。試行錯誤を繰り返しながら、より良い実務を作りたいと思います。皆さんの知恵と成果と思考をフィードバックしてください。

2024年6月11日
取調べ拒否権を実現する会(RAIS)代表
高野 隆

Q1. 「取調べ拒否」とは何ですか

 憲法38条1項は「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と定めています。私たちはこれを「黙秘権」と呼んできました。しかし、これは単に「沈黙する権利」のことではありません。強制的に警察官・検察官による尋問に晒されるのであれば、たとえ沈黙が保障されていたとしても、結局は「自己に不利益な供述を強要され」ていることになります。憲法は単に沈黙することを保障したものではなく、自らの刑事訴追について警察官・検察官による尋問を強制されないことを保障し、これによって自己に不利益な供述の強要を防いでいるのです。
 黙秘権の保障を実質化するために、この尋問を拒否する権利を行使して、警察官・検察官の取調べを受けないことを、「取調べ拒否」と呼びます。

Q2. なぜ取調べを拒否する必要があるのですか

 取調室で警察官・検察官に「黙秘します」と告げても、彼らは「取調べ」と称する不当な働きかけをやめることはありません。連日、長時間の取調べを繰り返します。彼らは、沈黙する被疑者に対して、「黙っていたらいつまでも家に帰れない」「弁護士は代わりに刑務所に行ってくれないよ」「このまま話さないのなら、ほかの人の話に沿って手続を進めるね」などと言って、被疑者に口を開かせようとします。こうした「働きかけ」や「説得」は実際上歯止めなく行われます。その結果、被疑者が沈黙を保つことはほとんど不可能です。黙秘権を行使することを宣言した被疑者に対してこうした働きかけを行うことそれ自体が、供述 の強要そのものなのです。
 単に沈黙するだけでは黙秘権侵害はなくなりません。自己に不利益な供述を強要されないという憲法の保障を実質化するためには、取調室での不当な働きかけに晒されること自体を防ぐことが決定的に重要です。そこで、取調べを拒否する必要があるのです。

Q3. 取調べ拒否はどのように有効ですか

 取調べの拒否によって、被疑者の沈黙の権利は確実に保障されます。身柄を拘束された被疑者にとって、取調べそのものが大きな精神的負担です。取調べを拒否できることで、その精神的な負担をなくすことができます。弁護人が取調べの内容を聴きとるためだけに依頼者と面会し、警察官や検察官に対して黙秘権侵害を控えるよう申し入れる必要もありません。さらに、自白の獲得を狙って再逮捕・再勾留が繰り返されることによる捜査の長期化を食い止めることもできます。もちろん、長時間の取調べに弁護人が立ち会う必要もありません。そして、被疑者と弁護人は、積極的な防御活動にその精力を集中することができます。

Q4. 取調べを拒否することで不利益はありますか

 憲法は黙秘権を保障しています。取調べ拒否はこの黙秘権の行使の一環として行うものです。取調室で沈黙したことを不利益に取り扱うのが許されないのと同様に、取調べを拒否したこと自体をもって不利益な取り扱いをすることは許されません。
 しかし、現実はそのとおりに運用されていません。逮捕・勾留されていない人については、「正当な理由のない不出頭」とみなされて、逮捕の必要性(刑訴法199条2項但書、刑訴規則143条の3)や勾留の理由(刑訴法60条1条)の根拠とされてしまうおそれがあることに留意する必要があります(名古屋高判2022・1・19LEX/DB文献番号25593187参照)。
 しかし、このリスクを過大評価するべきではありません。逮捕のリスクがあるからと言って、弁護人が警察官・検察官の要請に迎合して依頼者に出頭して供述することをアドバイスし続けてしまったら、「出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる」という法律の保障(刑事訴訟法198条1項)は無意味なものになります。取調室で沈黙することと比べて、取調べ拒否によって実質的な不利益が増す事件はごく限られています。取調室での沈黙と、取調べ自体の拒否とは、いずれも憲法の保障する黙秘権の行使にほかならず、しかも、逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれにおいて実質的な相違がないからです。
 たとえば、重大な犯罪が疑われており、捜査機関に一定の証拠がある場合には、警察官・検察官の要請に応じても、その後に逮捕・勾留されることがしばしばあります。このような事例で任意の取調べを受け続けても、逮捕を避けることはできません。この場合の取調べ拒否には捜査を早期に終結させるという副次的な効果が見込まれることこそあれ、なんら不利益はないのです。他方で、ごく軽微な犯罪が疑われている場合や、捜査機関に十分な証拠のない場合には、不出頭によっても逮捕の理由・必要は基礎づけられません。この場合にもやはり不利益はないことになります。そうした事例では、むしろ、取調べに応じて供述した結果を利用して逮捕状が発行されるということすらあります。
 取調べを拒否することで、重要な主張を捜査機関に伝える機会を失うことは、取調べ拒否に伴う不利益として考慮する必要はありません。弁護人が話を聴き取り、主張すべきことがあれば供述録取書等を作成して捜査機関に提出することができます。
 被害者と示談をしようとするときも、多くの場合は取調べ拒否による不利益はないでしょう。取調べを拒否したまま示談交渉を進めることができるからです。
 取調べを受け入れつつ黙秘をする場合には、その際の被疑者の態度について警察官・検察官が被害者に対して「反省している様子がなかった」などと伝えることがあります。あらかじめ取調べ自体を拒否していれば、こうした不当な介入を防ぐこともできます。弁護人が、捜査官の主観を介すことなく、直接被害者に対して示談の意向やその動機を伝えることができるのです。

Q5. 逮捕・勾留されている人が取調べを拒否するにはどうすればよいですか

 警察署の留置管理課と捜査を担当する警察官・検察官に対して、黙秘権を行使すること、黙秘権の保障を実質化するために取調べ拒否権を行使することを伝える書面を送付します。書式①〜③を参照してください。同様の書面に依頼者の署名捺印を得て添付するのが望ましいでしょう。書式④を参照してください。
 依頼者に対しては、黙秘権の重要性を説明するとともに、その行使が容易ではないことや、録音録画の下で尋問に晒されるのを防ぐ必要があることなどを伝え、取調べ自体を拒否することを提案します。具体的には、立ち上がらないこと、居室から出ないこと、それでも連れていかれた場合には一度「黙秘します。取調べをやめてください」と言うほかには一言も発しないことを助言します。
 取調べの状況を記録させるために、面会をして取調べの有無やその状況を詳しく聴き取ります。

書式①・検察官あて通告書
書式②・警察官あて通告書
書式③・留置あて通告書
書式④・本人用通告書

Q6. 逮捕・勾留されていない人が取調べを拒否するにはどうすればよいですか

 弁護人から捜査を担当する警察官・検察官に対して、黙秘権を行使すること、そのために取調べを拒否することを伝える書面を送付します。書式①・②を参照してください。同様の書面に依頼者の署名捺印を得て添付するのが望ましいでしょう。書式④を参照してください。「正当な理由のない」出頭拒否とみなされることのないように、黙秘権の保障を実質化するために認められるべき取調べ拒 否権の行使であることを明確にします。今後の呼出し等の連絡はすべて弁護人あてにするように申し添えます。
 弁護人が同行して取調べに出頭する場合にも、同様にあらかじめ書面で申し入れます。出頭した際には、弁護人から警察官・検察官に対し、黙秘権及びその実質的内容としての取調べ拒否権を行使すると伝え、そのまま依頼者とともに退出します。

書式①・検察官あて通告書
書式②・警察官あて通告書
書式④・本人用通告書

Q7. 依頼者には具体的にどのように助言すればよいですか

 まず、取調室で沈黙するのではなく、そもそも取調室に行かないという方策が あり得ることを伝え、その理論的な根拠を説明します。取調べを拒否することは黙秘権の行使であるという前提を確認した上で、さらに、取調べというのは逮捕・勾留や捜索・差押などの強制処分ではないのでそもそも取調べを受ける義務などというものが観念できないこと、逮捕・勾留は逃亡や証拠隠滅を防止するための強制処分であり、そのための令状は取調べを行う権限まで与えるものではないことなどを説明します。これに対する捜査機関側の理屈についてもあらかじめ解説するのがよいでしょう。取調受忍義務を認める見解は、刑訟法198条1項但書の反対解釈を根拠にしていますが、その解釈には重大な疑義があることを伝えます。
 次に、実践方法を伝えます。たとえば、次のように説明します。留置施設内の居室にいる人を取調室まで連れて行こうとするのは、留置業務を行う警察官と取調べを行う警察官です。一般に、居室から連れ出して留置施設(警察署内の一定の区画のことです)を出るところまでを留置の警察官が、その後取調室に至るまでを取調べの警察官が担っています。取調室に連れていかれるのを防ぐためには、まず留置施設内の居室から出ないことが重要です。警察官から呼ばれても立ち上がらず、居室の出入口に歩いて行かないようにします。多くの場合、警察官はいきなり居室内には入って来ません。そのまま居室に留まっていると、その外から、居室を出るように声をかけられます。今後不利益な処遇がされると脅されることもあります。不当な勧誘に耳を貸してはいけません。取調べを拒否したことで不利益な処遇をするのは違法なことです。実際にそうしたことがあれば、ただちに弁護人から警察署に対して違法な処遇に抗議する文書を送付します。悪質な行為には国家賠償請求も辞さないつもりです。
 最後に、それでも無理やりに取調べに連れていかれることがあり得ることを伝えます。たとえば、次のように説明します。居室内に留まろうとしても、強制的に連れていかれることもあります。複数の警察官が居室内に立ち入り、担架や車椅子に乗せられて無理やりに取調室に運ばれた事例があります。この場合には物理的な抵抗をしてはいけません。警察官と揉み合いになれば公務執行妨害罪で逮捕されかねないからです。その後、取調室では「黙秘権を行使します。取調べをやめてください」と言います。これ以外には一切の言葉を発してはいけません。  発言するのは一度きりです。これ以降はあらゆる質問について反応せず無言でいてください。それでも取調べが続くようなら、弁護人から捜査官に対し黙秘権侵害に抗議する文書を送付します。悪質な行為については国家賠償請求も辞さない つもりです。

Q8. 申入れに反して取調べがされたらどうすればよいですか

 取調べを拒否する旨の申入れに反して取調べが行われた場合には、まず依頼者と面会をしてその日時、取調べを担当した警察官・検察官、尋問事項等を確認します。警察官・検察官にも状況を確認し、黙秘権と取調拒否権が侵害されたことに抗議します。警察署長等にあてた書面を用いて調査と改善を求めます。書式⑤~⑦を参照してください。

書式⑤・検察官あて抗議書
書式⑥・警察官あて抗議書
書式⑦・留置あて抗議書

書式

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